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鮎川誠よ永遠に シーナ&ザ・ロケッツのこんなエピソードが好きっちゃん!結成秘話や家族揃ってのCMにパンタの件など

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鮎川誠さんが1月29日に膵臓がんのため74歳で亡くなって1か月。ショックで落ち込んでばかりもいられないと元気だった頃を回想できるまでになりました。

シーナさん(2015年2月14日子宮頸癌のため逝去、享年61)と博多で出会い、北九州市若松区にあるシーナさんの実家でご両親と一緒に暮らしていた頃。シーナさんのお父さんから「東京に出て本気で音楽をやったほうがいいっちゃない」と言われて単身上京。

東京のスタジオで女性歌手のレコーディングをしていたのが『涙のハイウェイ』。ところがなかなか思うように歌えず、後を追って上京したシーナさんが急遽歌うことに(曲名とも再現ドラマより)。それがきっかけとなりシーナ&ザ・ロケッツを結成しました。

バンド名はニューヨークパンクの雄・ ラモーンズの楽曲『シーナはパンクロッカー』とシーナさんの本名・悦子からロックとエツコで「ロケッツ」と発想して「シーナ&ザ・ロケッツ」と命名したそうです(再現ドラマで鮎川誠談)。

わたしがそのエピソードを知って ラモーンズのなかでもお気に入り曲になったことは言うまでもありません。

『シーナはパンクロッカー(Sheena Is A Punk Rocker)』の歌詞は当時のニューヨークでは若者たちがサーフボードを手にしたり、ディスコティックで踊ったりするのがトレンドだったけど、シーナは我慢できない。だってニューヨークにはもっと凄いものがあるんだもの。というカッコイイ歌なのです。

家族揃って出演した斬新なCM

先日2月28日放送の『マツコの知らない世界 』(TBS系)で「ローカルコンビニの世界 」を見ていて脳裏に浮かんだのが1990年代にオンエアされたポプラのCMでした。鮎川誠さんが子役たちと「やっぱり九州のコンビニはポプラやね」と笑顔でアピールする姿が印象的でした。

そんな鮎川家。鮎川誠、シーナ夫妻とまだ子どもらしさが残る娘三人(鮎川陽子・鮎川純子・鮎川知慧子)が家族揃って出演したのが1991年頃に放送された福岡 岩田屋のCMです。親子揃ってロックな風貌で登場するCMは当時として斬新でさすが”めんたいロック”やねと世間を唸らせたものです。

娘三人もすっかり大人の女性に。

鮎川家の家族写真(画像は『鮎川陽子 Yoko Ayukawa』Instagramより)

鮎川陽子はモデルや女優として活動しており、1月30日にSNSで「お父さんは世界一かっこいいロッカーでした」とコメントとともに家族の写真を投稿。父親と2人で並ぶ1枚は西武百貨店の広告(2002年)と思われます。

鮎川陽子と鮎川誠の親子ショット(画像は『鮎川陽子 Yoko Ayukawa』Instagramより)

頭脳警察xシーナ&ザ・ロケッツの公演中止に

シーナ&ザ・ロケッツと同時期にロック界に新風を起こしたのがパンタ(PANTA)率いるロックバンド・頭脳警察PANTA & HALでした。パンタは現在73歳で鮎川誠さんと同世代になります。

昨年11月に行う予定だった『夕刊フジ・ロック 頭脳警察Xシーナ&ロケッツ』公演はパンタの病気療養のため延期となりようやく2023年2月6日に開催が決定していました。

その後、鮎川誠さんが倒れてシーナ&ザ・ロケッツの出演ができなくなったあとも、頭脳警察のワンマンに切り替え実施する予定でしたが、パンタが緊急入院しため3日に「公演中止」が発表されました。

大学生の頃、シーナ&ザ・ロケッツやRCサクセションの人気が高まるなか、PANTA&HALの『臨時ニュース』を聴いてアナーキーな迫力を感じたものです。元気になってまた歌ってほしい。