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筒美京平さん追悼『魅せられて』(ジュディ・オング)は編曲も先駆的 『マツコの世界』で高橋昌太郎が力説

イラストACより「レコードのイラスト」(作者:acworksさん)
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筒美京平さんが10月7日に誤えん性肺炎のため80歳で亡くなりました。太田裕美の代表曲『木綿のハンカチーフ』(1975年)や庄野真代『飛んでイスタンブール』(1978年)、桑名正博さん『セクシャルバイオレットNo.1』(1979年)、少年隊『仮面舞踏会』(1985年)なども筒美さんが作曲を描けたものです。

偉大なる作曲家であると同時に編曲家としても素晴らしい実績があり、筒美さんにとって最大のヒット曲でもあるジュディ・オングの『魅せられて』(1979年)のアレンジについては2020年4月28日放送のTBS『マツコの知らない世界』「昭和ポップスの世界」で 昭和ポップスを愛する平成生まれの高橋昌太郎さんが語っていました。

『魅せられて』は宇崎竜童と夫婦で山口百恵の楽曲を手掛けたヒットメーカーの阿木燿子が作詞を担当、筒美京平さんが作曲・編曲を担当しています。『マツコの知らない世界』に出演したジュディ・オングによると『魅せられて』の練習に多忙ななか短時間付き合ってくれたピアニストの羽田健太郎さん(2007年6月2日逝去)は「この曲は売れるよ」と太鼓判を捺したとか。

そして筒美京平さんもジュディ・オングに「この曲は絶対自分でアレンジする」と話していたというから、何か予感するものがあったのでしょう。『魅せられて』は3747万枚を売り上げて2020年10月12日付現在で歴代編曲家総売上ランキングで4位を記録しています。

高橋昌太郎さんは「マニアが厳選!昭和の名曲イントロ・ベストテン」で1位に『魅せられて』を選び、さらにイントロがステレオの左・右のチャンネルを意識しており、左右からだんだん迫って来るように聴こえる当時としては斬新なアレンジだったと力説。マツコはマニアックな熱い解説に引き気味でしたが、ジュディ・オングは「そこまで好きでいてもらえて嬉しい」というようなことを話していました。

高橋さんは筒美京平さんの訃報を知ってインスタグラムで「京平先生、さよならは言いません。“お世話になりました”そして“また逢う日まで”#筒美京平」と井上順や尾崎紀世彦が歌った筒美さんの作品名を入れて追悼していました。何と『魅せられて』の手書きの譜面の写真を添えて・・・。筒美京平さんを本当にリスペクトしていたのですね。

筒美京平さんのプロ魂|洋楽が好きでダブステップを聴きながら「ヒット曲は別」と割り切った

井上順が10月13日に筒美京平さんを追悼してTwitterで自身のヒット曲『お世話になりました』について「私の血や肉となった曲、よく口ずさむ私のLife Song、今も曲と共に生きてます!先生に想いが届きますように」とタップを踏みながら口ずさむ動画をアップしました。

https://twitter.com/JunInoue20/status/1315797829038690305

同じく元スパイダースの堺正章は解散して独立する時に筒美京平さんに助けられたことを振り返って「昭和46年にリリースした『さらば恋人』のヒットで再スタートを切れました。歌謡曲とポップスの中間的メロディを私は楽しみながら歌う事が出来ました。筒美京平ワールドは永遠です」とコメントを寄せて追悼しています。

当時は「J-POP」という概念はなく、演歌か歌謡曲かポップスかフォークというようなくくりでした。筒美京平さんは『お世話になりました』や『さらば恋人』のようにやさしく癒してくれるような楽曲もたくさん書きましたが、実は洋楽が大好きだったそうです。

『タモリ倶楽部』にも不定期出演する写真家でジャーナリストの都築響一氏が13日に「筒美京平氏が一時、ダブステップを熱心に聴いていたというツイートを見て思い出す」とツイートしていました。ダブステップとは英・ロンドンのクラブシーンから誕生したEDM(エレクトリックダンスミュージック)の1つで、レゲエから派生した「ダブ」と「 2Step(ツー・ステップ)」というハウスから分岐したと音楽が融合して「ダブステップ」と呼ばれるようになったとされます。

都築響一氏は「生前にお会いした武満徹さんは『いまの音楽だとプリンスとかいいですね~』とおっしゃってたし、弘田三枝子さんはAppleストアのイベント待ち時間にiPodでネリーを聴いていた。超一流って、そういうことですね」と筒美さんのツイ―トに思いを重ねてますが、筒美さんは楽曲作りにおいて「ヒット曲は別物」と割り切っていたそうです。そのプロ魂が数々のヒットを生んだのですね。