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あいみょん『満月の夕』を子どもの時から聴いていた「使命感」感じ毎年1月17日に弾き語り

イラストACより「満月と星空のシンプル」(作者: gimyzrさん)
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あいみょんの『マリーゴールド』とか『裸の心』がラジオから流れてくると聞き入ってしまいますが、9月13日の『関ジャム 完全燃SHOW』(テレビ朝日)でなぜあんなに心に響く楽曲が作れてしかも歌えるのか分かったような気がします。

「あいみょんの人生ベスト5!」の1曲が『満月の夕』だったからです。『満月の夕』は1995年1月17日、阪神・淡路大震災が発生したことを受けてソウル・フラワー・ユニオンの中川敬とヒートウェイヴの山口洋が共作した楽曲で、あいみょんの父親がバンドをしていた頃によく歌っていたとか。

小学生の時から父が歌う『満月の夕』を聴いていたあいみょんは当初「おとうさんの歌」だと思っていたのですが、高校生になって歌詞の内容が理解できるように。「震災直後は人間だけでなく、柴犬とかも行く当てがなくて仲間たちとうろうろしていた」そんな情景が浮かびいろいろ考えさせられ「この歌を伝え続けねば」との使命感から1月17日には弾き語りしているのです。

そのことを知ったソウル・フラワー・ユニオンの中川敬からあいみょんのラジオ番組に連絡があり「震災当時は満月がすごく綺麗で怖いほどだったから、たき火をして皆で歌おう」と『満月の夕』が出来たという話を聞いたそうです。

あいみょんには沖縄の血が「歌う節回しにもそれが感じられる」と関口シンゴ

『満月の夕』を聴いて関ジャニ∞の横山裕は「震災の歌に聞こえへんな」、サバンナの高橋茂雄も「もっとしんみりした感じかと思ったら、なんか沖縄っぽい。祭りの泡盛感」と印象を持ったようで、切ないながらも静かに元気づけられる不思議な楽曲なのですよね。

沖縄っぽいサウンドについてはソウル・フラワー・ユニオンが被災地の慰問ライブをする時にライフラインが復旧しておらず電気がないため、三線やアコーディオン、チンドン太鼓などを使って演奏したから生まれたアレンジだとか。

でもあいみょんによると父方の親戚が沖縄に居て小さい頃から沖縄の歌をよく聴いていたそうで、やはり沖縄と縁があるのでは。しかも父親が以前にバーの店長をしていてそこでバンドをやっており、お店の名前が「島唄」と符号するところばかり。

関ジャニ∞の安田章大は兵庫県出身ですが、実は子どもの時は奄美大島のおばあちゃんに可愛がられた思い出が強くて血筋的には奄美が故郷だと思っているほど。奄美大島と聞いたあいみょんが「おばあちゃん喜界島出身なんですよ」と明かすので、「いろいろ繋がるね『満月の夕』に」と一同が感心。

喜界島(きかいじま)は鹿児島市と沖縄本島の間に連なる奄美群島にあって、奄美大島に近い7千人弱が暮らす島です。沖縄に父方の親戚、おばあちゃんが喜界島出身となればますます、あいみょんにはそのソウルのようなものが流れているのではと思えてきます。

長年あいみょんの音楽プロデューサーを担当するギタリストの関口シンゴは「あいみょんの歌い方にも 沖縄の節回しが感じられる」と話しており、『満月の夕』を子どもの頃から聞いて育ち沖縄の影響を受けたあいみょんだから素敵な楽曲を作ったり歌いこなせるのだなと納得しました。