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ギタリスト・寺内タケシさん偲ぶ、希代のエンターテイナーが平成の高校生たちをざわつかせた日

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「エレキの神様」の異名を持つギタリストの寺内タケシさんが6月18日に82歳で逝去されました。誤嚥性肺炎で入院して回復に向かっていたところ容体が急変して器質化肺炎で亡くなったそうです。私が実際に生のステージを見た数少ない世界的ギタリストなので訃報を知って言いようのない喪失感に襲われました。追悼の意を込めて10数年前に寺内さんが福岡県の高校でコンサートを行った時のことを振り返ろうかと思います。

私の子どもが福岡県立福島高等学校に通っていた時、PTAの主催で寺内タケシさんのコンサートが企画されました。後に分かったのですが寺内タケシとブルージーンズによる社会貢献活動「ハイスクールコンサート」の一環だったようです。

寺内タケシさんと言えばアメリカのザ・ベンチャーズと並ぶモズライト・ギターの愛用者で知られ、寺内タケシとブルージーンズの結成50周年記念アルバム『日米エレキ大合戦 寺内タケシVSノーキー・エドワーズ』(アナログLP/1986年)では「テリー」(寺内タケシさんの愛称)とベンチャーズの「ノーキー」がコラボした上に2人をリスペクトする渡辺香津美、竹田和夫、竹中尚人(チャー)、山岸潤史がバックミュージシャンとして参加しています。

高校時代に山岸潤史と竹田和夫のギター教則本を見ながら練習してギターキッズと化した私にとって、40歳半ばで「寺内タケシとブルージーンズ」のコンサートを見られたことは一生の思い出に残る体験でした。

寺内タケシさんは「エレキの神様」であり圧倒的なサービス精神を持つエンターテイナーでした

「ギターの神様」と聞いて一般的にイメージするのはエリック・クラプトンやジミ・ヘンドリックスなどではないでしょうか。寺内タケシさんは世間にエレキギターが出回る前から電話機の部品でピックアップを自作してアコースティックギターをエレキギターに改造したエピソードが有名です。その後の活躍もあって「エレキの神様」と呼ばれますが、ギタリストとしては卓越したギターテクニックというよりも、ギターと一体化したような味のあるメロディーラインや音質が特徴です。

その日、高校の体育館にはPTA(保護者)と高校3年生数百人が半々に分かれて座りコンサートを観覧。保護者たちは寺内タケシさんを知っている人が多いこともあって拍手や手拍子で盛り上がり、トークには笑いが起きていましたが、高校生たちはほぼノーリアクションという感じで始まりました。

ところが寺内さんは高校生に対して流行を話題に取り入れたりして(どのような内容か覚えていないのが残念。とにかく若者が興味を持つようなことを話していた)トークするうちに、だんだん子どもたちが引き込まれていくのが感じられたのです。

寺内さんは当時60代後半頃で、まるで明石家さんまのようにしゃべりまくりながら、ギターを弾き始めると高校生も耳にしたことがある名曲やヒット曲の数々を流ちょうに奏でました。後半になる頃は高校生たちも手拍子や拍手をして一緒に楽しんでおり、私はその光景に「ああ、寺内タケシさんはエンターテイナーなんだな」と実感したことを思い出します。エンターテイナーにはコメディアン的なイメージもありますが、ここでいうのは桑田佳祐が「エンターテイナー」と言われるのと同じ意味合いです。

画像は『Mosrite Cafe 2020年4月19日YouTube「[公開します] 寺内タケシ&ブルージーンズ ライブ ① 2019年4月13日収録 [外出できない皆様へ]」』のサムネイル